ニューメディア、情報化社会、ペーパーレス...。
これらは前世紀に叫ばれた流行り言葉だが、いずれもとうの昔に死語となった言葉だ。だが、皮肉なことに、これら前世紀の流行り言葉を自ら実感させられるようになったのは、なぜかここ2、3年のようだ...。
21世紀に入ってはや数年。写真の世界ではフイルムメーカーが続々と事業撤退あるいは生産縮小の方針を打ち出し、これに呼応するかのようにカメラメーカーはディジタルスチルカメラへの経営資源集中を加速している。一方、映像の世界であれほどの隆盛を誇ったVHSビデオデッキは廃れ、DVDあるいはHDDレコーダが急速に普及している。さらに音楽の世界では、iPodに代表される電子デバイス(HDD、フラッシュメモリ)方式が主流となった。
このような事例を振り返るまでもなく、一般に「アナログ技術の衰退とディジタル化の進展」という修辞が出てくるのも確かに無理はない。ディジタル化は人々のライフスタイルをも刷新した。受動部品の巨大な芸術品であった移動体通信機器は、ディジタル技術の進歩により小型・安価・省電力の携帯電話機として安定・大量に供給されるようになり、誰もがその利便性を享受できるようになった。インターネットの普及と「文書、音声、画像、映像」といったあらゆる情報のディジタル化 (いわゆる multimedia) は、一市民があらゆる情報を世界に向けて発信することを可能とし、放送出版の概念を根底から覆した...。
しかし、「アナログ」が衰退していると考えるのは早計である。
ここで再び音楽メディアを振り返ってみる。音楽ディスクの規格 CD-DA (Compact Disc Digital Audio)、いわゆる音楽CDが発表されたのが今から四半世紀ほど昔、1982年のことだ。その後、機器のコストダウン、さらには携帯型プレーヤの発売を契機として急速に普及し、90年代初頭には普及期を迎え、ラジカセ、カーオーディオ、ミニコンポ、ポータブルプレーヤ... あらゆるオーディオ機器に CDが搭載されるとともに、既にこの時期、新譜レコードの供給は事実上途絶えていた。「アナログプレーヤ(レコードプレーヤ)はあと数年で絶滅する...」誰もがそう思うようになった。
しかし、21世紀になって既に5年を経過した今日... レコードプレーヤ本体は絶滅どころか、堅調な市場が存在し、今でも新商品が発売されているのは周知の事実である。むしろ先に滅亡したのは、80年代後半にはディジタルメディアの最先鋒と目されていた DAT (Digital Audio Tape) のほうであった。
以上のように様々な事例を見ていくと、実は「アナログ」が衰退しているわけではないことに気付く。そう、アナログ・ディジタルの別を問わず、実は「フイルムメディア」が危機的状況に陥っているのだ。「VHS、8mm、DAT、写真フイルム、フロッピーディスク、OHPフイルム ...」いろいろと思い当たるのではないだろうか。現時点で唯一健在なフイルムメディアはディジタルムービーに使われる「DVテープ」であろうが、これも DVD/HDD/メモリカード等の記録形態が急速に浸透してきており、数年後には主流の座を明け渡す運命となろう。
フイルムメディアは「対候性(保存性)の低さ」「検索性の低さ」といった本質的な弱点を抱えているが、一方で「大容量化が容易」という強みがある。今から20年前、音楽CDが74分の時代に、360分という長時間の高音質ステレオ連続録音はおろか、同時に映像までをも記録可能にする機材(VHS Hi-Fiビデオデッキ)が一般家庭に存在し得たという事実は、フイルムメディア自体の特質を端的に物語るものである。逆に、このところのフイルムメディアの衰退の原因は、他の記録媒体がマルチメディア用途に堪える容量を備えるようになったことでフィルムメディアの強みが消え弱点だけが残った、というのが真相であろう。今、まさにフイルムメディアが消えゆこうとしているのである。この数ヶ月「フイルムカメラ撤退」「DAT生産終了」など、異業種にもかかわらず生産撤退絡みの報道が集中しているが、事の本質は同一であることが分かるだろう...。
本来、極めて扱いの難しいフイルムメディアを、誰もが当たり前のように使えることを可能としたのは他でもない日本の技術である。フイルムメーカの原材料からプロセスに至るまでのこだわりは世界最高品質のフイルムを大量に供給することを可能にした。また、技術者の不断の努力は、一般家庭において軍事機器レベルの高精度メカニズムがテープに映像を記録することを可能にした。ビデオテープ、オーディオテープ、映像用フイルム、写真フイルム... あらゆる記録メディアは日本の独壇場となり、'ウォークマン'からビデオ、光学カメラに至るまで、日本製のあらゆる情報機器が世界を席巻した。世界中で創造されるあらゆる情報が、日本産の機器を用いて日本産のメディアに記録される ― Japan as No.1 と称された1980年代、日本の黄金時代は まさに日本のフイルムメディアの歩みそのものなのだ。
バブル崩壊と失われた十年。技術立国日本の衰退を象徴するかのように、数あるフイルムメディアが消え行こうとしている。その中でも「カセット(宝石箱)テープ」ほど庶民的かつ魅惑的なメディアは他にないであろう。ナマ録機材を背負って野山を駆け巡った事、DJよろしくテープに向かって絶叫した事、ナケナシの小遣いを叩いて買った真新しいテープと友人から借りたLPを自転車のカゴに載せて家路を急いだ事、大切な人に手渡すための'ベスト盤'編集に頭を悩ませた事、ライブ放送のエアチェック中にテープが終わらないよう祈るような気持ちで回転するリールを眺め続けた事、幼少の頃にTVの音を録音するのにスピーカの横にラジカセのマイクを置いた事、深夜放送録音テープを1時間のポイントで真夜中に眠い目をこすりながら裏返した事、初めて手にしたウォークマンにテープを滑り込ませたときの感動、エアチェック中にピークメーターが振れるたびに振りきれはしないかとドキドキした事、 ― インターネット上には、カセットテープとともに蘇る様々な人の数々の想い出が綴られている...。想い出、といえば同じフイルムメディアである写真フイルムもあろうが、やはり、幼児・学生から老人に至るあらゆる世代があらゆる場面で使ったという意味でカセットは別格であろう。
音と想い出を刻んだ20世紀のメディア、カセットテープ... これほどまでに多くの人々の想い出と共に生きる魅惑的な '情報記録メディア' は、もはや地球上に出て来ることはないのではなかろうか。あなたが、もし、カセットテープとともに自分の中に蘇る想い出を持つのなら、ある意味、とても幸せなことではないだろうか...