本稿では、1980年代後半~1990年代の日本におけるゲーム市場がいかなるマーケット環境にあったかを、ときめきメモリアルを中心に据え、分析・考察することを目的とする。
まずは、日本を代表するアミューズメントメーカー、コナミのお話。
コナミのアーケードゲームといえば、筆者個人的に最初に浮かぶのが、スクランブル*(KONAMI)を前身とする横スクロールシューティング、グラディウス(1985年発表)。
当時としては大変画期的であり、金属の質感すら豊かな当時としては常識外れの美麗な 32k色(?)グラフィック、3ボタン 8方向ジョイスティック、その難易度と軽快なサウンド....。もうこれにはどっぷり漬かってしまい、ジョイスティックの操作すらままならず、STAGE 1 のクリアすらままならなかった状態から始まり、とうとうカウンタストップ* 相当を成し遂げるに至ったという、なかなかのハマりぶりであった(これのせいで視力が...)。筆者は密かに基板を探していたのだが(笑)、このプログラムは、ROMではなく、磁気バブルメモリ(採用したのは、ゲーム史上多分2つしかない)を使用したものであり、「経年変化に弱い」「ハーネス(電源)が非常に特殊」のため、殆ど現存していないらしい。
余談だが、SHARPの X68000というパソコン(パーソナルワークステーションと言っとかないとマニアには怒られるかな? ^^;)は、「グラディウスを動作させるように設計されたマシン」である(本当)。開発チームに「グラディウスを移植できるようなマシンにせよ」との命題が下り、担当者には「グラディウスを全面クリアする」という業務命令が下り、当時の X68k 開発者は暫くの間ゲーセンでグラディウスをしまくったらしい(^^;)
ちなみに、グラディウスは、初代&II をセットにした「GRADIUS DELUXE PACK」というのが PS (PlayStation)、SS (SEGA Saturn) 並びに Windows 95 に移植されている。これは、PS/SS 版 CD-ROM 格納の README にも記載あるように、オリジナルであるアーケード版を彷彿とさせる、(バグまで含めて)かなり忠実な移植である。筆者が見ても、95点ぐらいはあげられる程の出来。敢えて難を言わせてもらえば、オプション4個&3速以上時に、オプション1個が自機に追尾せず裏VRAMに回るバグが再現できてないところと、2面のザブの出現パターンが異なるあたりか(これは結構大きい差異)。
コナミは、グラディウスの成功に気を良くしたのか、1986~1990年までに、同じくスクロールタイプのシューティングである「沙羅曼蛇」「ライフフォース」「グラディウスII」「沙羅曼蛇II」「グラディウスIII」と次々に作品を発表している。とりあえず、私にとって「コナミ」とは、シューティングゲームの金字塔的存在であり、非常に硬派なゲームメーカーでもあったのだ(なぜか既に過去形...)
しかし、コナミにも不穏な兆し(笑)はあった。そう、グラディウス・沙羅曼蛇が全盛を誇っていた時代に、MSX2でひっそりと発売されたパロディウスである。これは、グラディウスシリーズとゲームのシステムこそ全く同じものの、自機がペンギンだったり、バリアがコンドームだったり、数え上げればキリがないが、もう完全なイロモノ路線であった、、、がゲームとしての完成度は凄まじく高く、MSX2程度のプアなハードウェアであれほどの処理が出来るというだけで、グラディウスのコアなファンである筆者は MSX2 が欲しくなるほどの完成度の高い作品ではあった。今思えば、コナミが壊れはじめたのはこの頃からのような気がする)。
一方で、コナミは1987~1988年に次世代シューティングとして A-JAX を投入。拡大縮小・回転演算をオンボード化したかなり本格的な縦横シューティングゲームだったが、時代は既にパズルゲーム(ちょうどテトリスの時代)や、格闘ゲームへと移りつつあった。
さらに、問題だったのがグラディウスIII。アーケードゲームのくせに、とてつもない難易度。全国でこのゲームをクリアできた人間はほんの一握りという、世界のアーケードゲーム史上、最高クラスの難易度を誇るゲームであった。かといって難しいという以外に特に面白いわけでもなく、ゲームバランスは言うまでもなく最悪で、単にグラディウスのキャラを使っているというだけであった(半分私見)。こうして、コナミのシューティングはグラディウスに始まり、グラディウスIIIによって事実上自らの歴史を閉じたのだった。
時は1991年。当時のゲームといえば、家庭用ゲーム機ではファミコン→スーファミへの移行期であり、ゲーセンでは格闘ゲームが支持を拡げつつあった時代でもある。また、一方のパソコンゲームは、「三国志III」「アトラス」「シムシティ」など、シミュレーション全盛の時代である。
「育成シミュレーションゲーム」-この聞き慣れない言葉が世に出たのは、ちょうどそのような時代である。その名も「プリンセスメーカー」(通称プリメ)。今となってはエヴァンゲリオンというアニメーションで有名になっているガイナックスの作品である。当時のガイナックスは、「電脳学園」というちょっとえっちなゲームを発売しており、某M県に有害指定・販売差し止めを食らうという、なかなかいわく付きの状態であり、このプリメはその窮地を救うことになる。
内容を簡単に紹介すると... プレーヤーは中世ヨーロッパの騎士(勇者)で、あるとき、戦災で孤児となった10歳の娘を預かり、武芸、学問、礼儀作法、社会勉強(アルバイトなど)をさせ、18才まで育てるというストーリーであり、このゲームの画期的なところは、育てかたによるマルチエンディング! 本当の目標はタイトルにもあるようにプリンセスに育て上げることだがこれはなかなか難しく、実際には騎士や商人、文筆家、シスター、農婦、プレーヤーの嫁(笑)、はたまた娼婦になってしまったり ^^; などで、他にも様々なパターンのエンディングが用意されており全てを見るのは大変難しいとされた。
要は、シミュレーションでもありながら、なおかつ、パラメータ解析というアドベンチャーゲームの要素を多分に残していたのがポイントで、ここが従来のシミュレーションゲームとは一線を画す重要なポイントである。
それにしても、当時のゲームといえばせいぜいフロッピー1枚か2枚(注:当時のゲームは基本的にテキストベースであり、ビジュアルは補助的な紙芝居的な役割しかなかった)。そのような中で、フロッピー7枚組(別途セーブディスクが必要)というとんでもないデータ量、しかもその殆どが画像データという、当時としては何もかもが非常識な構成であった(笑)。14,800円という価格設定もね。
プリンセスメーカー、このある種「変てこ」なゲームは、マニア層のみならず、なぜか女子大生や OL、主婦にまでウケて結構売れたらしい。オリジナルは PC-9801 版だが、なぜか MSXにまで移植(by MICRO CABIN)されたりして、これがきっかけとなり「育成シミュレーションゲーム」という新ジャンルが定着したのである。
「育成シミュレーション」がトレンドだというので、この後に発売されるゲームはいずれも育てモノの要素を含んでいる。特に敏感だったのが、1992~1994年に相次いで発売された競馬モノ。クラシックロードがそのハシリだったような覚えがある。
本家ガイナックスは、この後、プリメを各機種へと展開するとともに、1993年には「プリンセスメーカーII」を発売している。
話は突然変わるが...
VTRの普及とともに発展してきた AV (Adult Video) 業界も、既に成熟産業の代表となりつつある。この変遷を追ってみると筆者は次のように分類できるのではないかと考えている。
まぁ、エロに限らず「文化」と名の付くものは程度の差こそあれ、同様の変遷をたどるだろう。例えばTV CM。(1)商品機能連呼の時代→(2)イメージ広告の時代→(3)専門性の時代[わかる人にしかわからないというパターン]という流れを見事に汲んでいるというのは理解できるだろう。クルマも同じ、電化製品も同じ、ファッションも同じだ。
ゲーム産業も例外ではない。パソコンの擬似恋愛ゲーム(ギャルゲーと呼ばれる)のうち、特に性的描写を含むもの(俗に、エロゲーとも呼ばれる)は、1990年代初頭には、ストーリー重視の時代に入りつつあった。
エポックメイキングとなったのが、1992年末に発売された同級生(株式会社エルフ)。シナリオと呼べるシナリオは(殆ど)なく、主人公は、学校生活を送りながら、さまざまな登場人物と一緒に悩み、時には喧嘩し、恋に落ちる。従来のゲームとは全く異なるそのコンセプトは、ゲーム業界全体に衝撃を与えた。ゲーム中の登場人物の動きは、プレーヤーの行動のみならず、他の登場人物全ての相互の動きに影響されるという、これぞオブジェクト指向、VR体験と呼ぶにふさわしい記念すべきゲームであった。
この、「愛と、その結晶としての...」という流れを、いわば自然な形でPC上シミュレートしたともいえる、もはやエロゲーとだけでは形容できないその完成度とインタラクティブ性は、その後発売される全てのゲームに多大な影響を与えている。なお、1995年には、初代にも優る完成度とも言われる「同級生2」がリリースされている。
これまで述べたように、1990年~1994年において、ゲーム業界は「育成シミュレーション」と「仮想現実シミュレーション」の流れが一層明確になりつつあり、この2つを融合したゲームの出現は時間の問題であった。具体的には、育成系、すなわち「シミュレーションでもありながら、パラメータ解析というアドベンチャーの要素を多分に残したゲーム」と、VRイロモノ系、すなわち「プレーヤーに好意的な女の子がたくさん出てくる仮想現実」要素のコラボレーション、である。
そのような中、1994年にひっそりと発売されたのが「ときめきメモリアル」(コナミ)である。今でこそ「恋愛シミュレーションのハシリ、金字塔」とも形容されるが、オリジナル版は「PCエンジン(PCE)」向けであり、当初は「シューティングゲームの大家、コナミ」がイロモノとして細々と販売していた、雑誌などでも殆ど話題にされることない、いわば「典型的クソゲー」との評価であり、市場では投げ売りされていた。後で聞いた話では、100円だったという目撃談もあるぐらいだ(笑)
ところが、ある時期、パソコンゲームに飽きたマニア層がこれを発掘し、それが口コミ、BBSコミ(笑)で瞬く間に拡がり、なぜか一躍大ヒットゲームにのしあがったという、開発者すら予想だにしなかった(?)結果を生んだという、伝説的ゲームでもある。
ときメモのストーリーについては非常に有名なので、以下簡単に触れるだけにしたい。
プレーヤは「きらめき高校」の1年生。3年間(1,063日)の高校生活を過ごし、幼なじみの「藤崎詩織」(声:金月真美)から、卒業式の日に伝説の樹の下で告白されるのが目的... なのだが、まぁ、登場人物* の女の子 は11人(+隠れキャラ2人)いて、マルチエンディングになっているので、誰と恋人同士になったって構いはしない、というもの。
と上記を読むと、このゲームシステム自体はパソコンゲームでは一般的なシステムで、特段の新規性を持ったものとはいえないものであったが、なによりPCエンジン版であった、というところが最大の新規性といえなくもないだろう。
そうこうするうちに、この(元)クソゲーは「PCエンジンでしかプレイできない恋愛シミュレーションゲーム」として爆発的な売れ行きを示し、それにつられてなぜかPCエンジン本体も店頭から品切れになった、らしい(笑)。そうこうするうちに、1995年にPS版、その後SS版と移植され、これらも含めて爆発的ヒット(ミリオンセラー)となった。
参考までに、このゲームは全ての台詞が音声として収録されているので、寒気がすること請け合いだ(笑)。細かいインプレッションに関しては、家電レビュー~Playstation SCPH-1000「ときめき RISC」(当サイト内コンテンツ)も合わせてご一読のほど。
いずれにせよ、本項で特筆すべきは、上記、1994~95年にみられた「ときメモ」の市場形成・浸透過程こそ、マスコミ(雑誌)からネットへとムーブメント形成の主導権が移った、その転換点そのものであった、という事実であろう。
1996年のゲーム/アニメ文化は、ときメモ(&エヴァ)に始まり、ときメモ(&エヴァ)に暮れたといってよい。ときメモ登場人物のフィギュア(海洋堂)は爆発的売れ行きを示し、また、ときメモ声優のラジオ番組がプロデュースされ、毎月続々とCDがリリースされたりした。1997年現在もCD化は続いているようで、その数、優に40枚~50枚はあろう。この現象は、こち亀(こちら亀有公園前派出所)でも「どきメモ」(どきどきメモリアル)などといって数回に渡って取り上げられ、結構笑えるものであった。秋本治氏の描くマニア系ネタは、もう徹底してるね~(笑)
ついに、このマニヤの声に押され、関東のとある制服メーカー(本当に学校の制服を作っているところだ)が、きらめき高校の制服を限定発売するという事態にまで、世の中は退廃してしまったのである。また、この購買層があるというのが凄いところだ。とにかく、もう伝説と化してしまった「ときメモ」。ここまで来たら、これをネタに儲けまくるしかない!?
96年末、恐れていたことが起こった。青天の霹靂とはこの事を言うのだろう。朝日新聞朝刊経済面に出てしまった、あの事件、そう。藤崎詩織デビュー(バーチャアイドル化)である。
筆者は始め、当時コナミが主催していたイメージコンテストで選ばれた女の子がデビューしたのかと思っていたが、事態は予想を遥かに超えた、驚愕すべきものであった。なんと、「フイルムコンサートにファン殺到」。そう、ゲームのキャラである藤崎詩織のファンにとって、あくまでも藤崎詩織は「二次元」で「赤い髪」をしていなくてはならないのだ(笑)。そこらのコギャルがコンテストで優勝して、いくら藤崎詩織のイメージキャラクタとしてデビューしたところで、それは全くの別物だということらしい...(T^T)。新聞記事の「スクリーンに映し出されるアニメーションに合わせ、舞台裏で声優(金月真美)が歌った」というくだりを見て、絶句した筆者であった...。
さらに、コナミは周到なことに、藤崎詩織オフィシャルファンクラブ「Shiori Mate」なる団体まで運営している。もうただただ、恐れ入るばかりである...
その後、ときメモのヒットを受け、恋愛シミュレーションはゲームのジャンル中で重要な一角を占めるに至った。それはもう、ありとあらゆるメーカーがこの市場に参入した。NOёL(パイオニアLDC)、トゥルー・ラブストーリー(アスキー)、リフレイン・ラブ(リバーヒルソフト*)、Little Lovers(日経映像/NTT出版)etc. etc... もう数え上げればきりがない。しかも、各メーカーを見ると、どのメーカーもそのベースとなるはずのイロモノ路線の素地が無いのに、何をいったいどう無理して?...といったものばかりである。ハヤれば何でも出しゃいいというか...。もう雨後のタケノコ状態**だ。「他社が出して成功したから自社でも作らなきゃいけない」のか、それとも「昔から企画はあったのに、一喝されてしまっていたところを、他社の成功を見て今更尻に火が点いた」のか...(笑)、真相を知る由もないが、まぁ如何にも日本的というか(^^;)
育成シミュレーション全盛の昨今だが、これはお子様の玩具についても同様である。まず、口火を切ったのが、乙女の電子手帳(BANDAI)や「セサージュ(??)」(SEGA)といったお子様向けPDA,ワープロもどき(と言い切ってもよいだろう)である。電子手帳には IrDA(??)通信機能が付いており、「授業中に友達にメッセージが送れる」という、小学生文化史上画期的な新機能を提供した事は特筆モノである。これがいかに重要なのかというと、数名がこれを使ってにコミュニケーションを始めると、仲間外れになるのが恐い他の子供たちも同じ機種を購入する可能性があるという点である。いわゆるデファクトスタンダードの重要性がここにもある(笑)。これこそ、外国メーカーにまだ参入されていない市場でもあり、これこそ日本メーカーの独壇場だ。
あと、多分 Macの某お魚育成モノに影響されたと思われるが、電子手帳には「犬を飼う」といった新機能を持つものがあった。餌をやり忘れると死んでしまったり、教育するほど賢くなって「お手」をするようになったり、なぜかこの機能もお子様にはバカ請けした。このヒットを受け、バンダイは次の感触を得たに違いない。「液晶画面上の育成シミュレーションゲームは伸びる!!」
一方で、ちょうどその頃、テトリスなど数種~数百種のゲームをキーホルダタイプに集約したゲーム(ミニゲーム)が人気を集めつつあった。バンダイは早速、このカタチの育成シミュレーションを企画し、96年夏には開発終了。お子様~コギャルの反応を見た上で企画台数/市場投入時期を決定し(このあたりの計算が一般に今の製造業には欠けていると思われる)、生産に入った。
そして、ついに1996年秋に発売されたのが「たまごっち」である。その市場調査に基づいた絶妙な生産数設定は市場の供給飢餓感を煽り、社会現象となるに至ったのである。このゲームのシステムはもう解説するまでもないだろう。
さらに、1997年春~夏にかけ、「新種発見!!たまごっち」「たまごっち for Windows 95」のほか、PHSにたまごっちシステムを載せた「たまぴっち」と、これでもかの展開ぶり...。
ここで注目すべきは「たまぴっち」。「たまぴっち」同士で会話すると、相手方のたまごっちと遊ぶとか、いろいろなインタラクティブ性を秘めた製品である。でも、なんだかこれをみると、ひところ流行った「バーコードバトラー」の類を思い出すのは筆者だけだろうか...(笑)
ここで筆者は予測する。育成シミュレーションとインタラクティブ性の融合は今後の最大のマーケットポイントとなるだろう。
この流れに従い、今年(1997年)中には以下の 2点が決行されるだろう。
大胆な予測だけど、当たるかなぁ(^凹^;;)